マイストーリー

アンプルールが誕生した15年前、宝塚音楽学校を受験していた透水さらささん。その後、9年間にわたり宝塚歌劇団雪組の娘役として活躍。退団後は結婚、母となって、今再び歌手として新たな道を歩み始めた透水さらささんのマイストーリーとは。

5歳にして夢見た宝塚 この15年を振り返ると、文字通り宝塚一筋でした。5歳の頃、母が観ていた『若き日の唄は忘れじ』に衝撃を受けて、幼いながらに「将来は絶対タカラジェンヌになる!」と決心。バレエ、ダンス、日本舞踊、歌など、母にお願いしていろいろな習い事をさせてもらいました。今考えると、その夢のおかげで何事も前向きに頑張れた人生だったと感じています。

15年前はちょうど受験の年。合格するためにずっと稽古をしてきたので、不安よりも確信みたいものの方が大きかったのかもしれません。合格の瞬間も、喜ぶより「よしやるぞ!」みたいな気持ちが強かったですね。

エトワールを務めて 宝塚音楽学校を経て、2006年に宝塚歌劇団に入団。9年の在籍期間で一番の思い出は、やはりエトワールですね。舞台の最後、2500人のお客様の前でソロを披露する大役に選ばれたのは入団6年目のことでした。舞台の最後、一人ピンスポットを浴びて、シーンとした中で私の息継ぎとともにオーケストラが始まるその独特の空気は、当時の私にとって大きなプレッシャーでした。そんな私を心配して、同期たちが集まってお客様の代わりになって練習に付き合ってくれたんです。そのおかげで「この時間は舞台の後味になる大事な場面だからこそ、“透水さらさです!”ではなく“観に来てくださってありがとうございます”という感謝を伝えるだけにしよう」と考えられるようになったんです。すると自然体で歌えるようになり、以降4度にわたって務めさせたいただいたエトワールの経験は、私にとってとても幸せな時間となりました。

新しい環境に身をおいて 2015年、私のすべてだった宝塚を退団。その後は結婚し、家族との生活を送ってきました。舞台中心の生活から一変、子どもが生まれると生活が180度変わりましたね。その中で母との時間が増えたことは嬉しい変化のひとつでした。仲はよかったものの、習い事の毎日で、15歳のときには家を出たので、今こうして親子の時間があることが嬉しいですし、人前に立つ仕事を選んだ私の「美」に対する考え方のルーツはすべて母から学んだと思っているので、私自身も娘を持つ立場になって改めて気づくことも多く、感謝の気持ちがより強くなりました。

そんな日々を送るうち、自然と「また歌いたい」という気持ちも高まっていったんです。子どもの頃から嬉しかったら歌いだすような性格だったので、私にとって歌うことはとても自然なことなんです。だから、改めて歌うことを続けていきたいと思い、今は歌手としての活動を再開。家族やファンの皆さん、宝塚時代の同期や先輩も応援してくれています。

今だから見えてきたもの 歌手活動と同時に、テレビやお芝居の仕事など新しい挑戦もいろいろとさせていただいています。その中で視野も広がり、今興味を持っているのが蒔絵のアクセサリーづくりです。実は父が京都で蒔絵師をしていまして、昔から金蒔絵というものが身近にあったんです。しかし当時は宝塚に夢中で、その魅力に気付けていなかったんですね。歳を重ね、「なんて美しいんだろう」と思うようになったのですが、父は弟子をとっておらず、この技術が途絶えてしまうのがもったいないと思うようになったんです。

宝塚時代から髪飾りなどを自分でつくっていたので、その経験を活かして父の技術を現代の若い女性に伝えられるものがつくれればいいなと思ったのがきっかけでした。デザインした蒔絵パールのピアスは「欲しい」という声も多いので、今後は金蒔絵の技術を伝えていくような活動もしていけたらと思っています。

これからの自分を楽しみたい こうして自分の歩みを振り返ってみると、宝塚を夢見て、宝塚をめざした青春時代。そして宝塚で過ごした12年という時間があったからこそ、「いつだって前向きに」という自分らしい生き方があるように思います。それが私を応援してくれる力にもなっているので、今はこれからの自分、そしてやりたいことにワクワクしている、そんな毎日です。

取材・文:鈴木こうき

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歌手(元タカラジェンヌ)

透水 さらさ さん

2006年に第92期生として宝塚歌劇団に入団。在籍9年間で4度のエトワールを務め、その歌声はディーバと称される。現在も歌に演技に多方面で活躍中。